「【人】」

 夜の公園の、奥まったところにある森のなかで、落ちている悪意を見つけた。
 悪意を身体に【入れる】と、それは自分のなかに染み込んでいく。完全に【入れる】ことができれば、それはワクチンのような役割を果たし、他者からの悪意への抗体となる。そうなれば、もはや他者との交流で傷を負うことは生涯ないのだという。しかし、そうわかっていても、悪意を【入れる】のには抵抗があった。ましてや、道に落ちていた悪意ともなれば。
 そう考えている間にも、悪意は顫動を始めた。【入】ってくる予兆だ。【入れる】のか、【入れ】ないのか、決めるまでの猶予は、もうあまり残されていない。……やはり、【入れ】たくない。僕は、手に乗せた悪意を払いのけようとした。すっ、と、取り除かれるはずだったそれは、茸を採集するときのような抵抗を僕の感覚に残す。
 もう手遅れだったようだ。悪意はもうすでに、しかも中途半端に、僕のなかに【入】ってしまったのだろう。不完全な状態で【入】った悪意は、身体のなかを漂い続け、宿主の意識を侵していく。宿主の言葉、態度、表情、すべては悪意を含んだものとなる。そうなれば当然、他者から悪意を向けられるようになる。それを取り込んで、不完全だった悪意は成長していく。やがて宿主の死とともに悪意は完成して、事切れた瞬間に吐き出されるのだという。
 ならば……最初に気付くべきだった。なぜ、ここに悪意が落ちているのか。眼の前にある大きな樹の根元に立ち、見上げる。月光のなかでそれはわずかに揺れていた。おそらく、僕もこの場所だろう。【入】ってきた不完全な悪意が、凄い早さで身体のなかを【巡】っていくのを感じる。