「やがて夜が明けて……」

 世界が断線したようなので、久しぶりに外出することにした。
 一瞬のうちに《律》が断たれたということで、猫は八本脚になっていたし、駅前の十字路は葡萄畑になっていたし、人間は完全な球体になっていた。まだ高校に通っていたころ、毎日立ち寄っていた大型書店は赤ん坊(小さく完全な球体)を売っていた。列車は粘性を帯びた正方形の塊になっていて、乗り込もうとするひとびと(完全な球体の群れ)は次々にそれと一体となっていった。発車ベルに続いて列車は空に飛び立っていく。垂直に。
 そのようにすべてが変貌した世界で、ただひとつ、町外れの小さな公園だけがそのままだった。塗装が剥げたベンチに、軋んだ音を立てるブランコ、夏には熱した鉄板のようになった滑り台、その場所だけが何も変わらずにいて、トリミングした過去の写真をそのままペーストしたように不自然だった。
 他の、すべての場所がうだるように暑いのに、公園だけにひんやりとした風が吹いていた。あるいは、ここだけがすでに死んでいたのかもしれない。死んだ場所で過ごす自分も、もう死んだのかもしれない。けれども、そこを離れる気にはなれなかった。
 三十秒ごとに形状を変える家では、完全な球体と完全な球体が、仲睦まじく暮らしている。人の形をしていたときには、罵声で満たされていた場所なのに。そこで人の形をして長い時間過ごしたわたしは、完全な球体が作り出す幸福な空間でどうすればいいのかわからない。自分も完全な球体となっているのに、なぜか自分だけが記憶を抱えていて、持て余している。馬鹿らしい話だ。この公園に居るときだけ、人の形をしていたときの暗い気持ちとともにあることができるような気がするが、しかし改めて繰り返すまでもなくわたしはもはや完全な球体でしかない。