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- アーティスト: BUMP OF CHICKEN,藤原基央
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Hospitality Festival Drum&Bass
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併走
何の音もしない、静かな部屋だった。中心には椅子が据え付けられていて、正面に投射された映像では一人の男が右に向かって延々と歩き続けていた。僕はぼんやりと椅子に座る。そうして映像に向き直る間も、男は歩き続けていた。
男が歩く向こうでは、様々なことが起きていた。何もない平野に、小さな村ができた。産業が勃興した。都市が栄えた。戦争が起きた。屍体の山が積み重なり、やがてそれらは朽ちた。また平野になり、小さな村が……その繰り返し。
それらの歴史を背景に、男は歩き続ける。まっすぐに前を向き、姿勢を崩すことなく。
どれほどの時間、僕はこの部屋にいただろうか。何回もの、微妙に異なる興りと滅びの歴史を見届けた僕は、椅子から立ち上がった。その瞬間、男が一瞬だけ僕をこっちを向いたような気がした。
部屋を出ると、案の定そこは長い長い通路だった。
まあ、そういうことなのだろう。
左側には、歴史があった。といっても男の背後に流れていたような規模の大きいものはなく、ひとつの家庭を映したものだった。小さな子供を抱えて笑顔でいる夫婦、やがてその家庭が崩壊することを知っている。その父親はやがて奇妙な部屋に囚われ、歩き続けることになる。だからこの歴史を継いでいくのは、この子供だろう。……そして右側を向くと見覚えのある男がカメラを持っている。
そういうことなのだからそろそろ歩き始めないといけない。
ペイジワンゲスト一覧表
藤井ペイジ(飛石連休)主催のライブ「ペイジワン」「ペイジワンR」「ペイジワンZ」のゲスト一覧です。企画コーナーのアシスタントのみ参加や飛び入り参加も記載しています。
ライブ名 | 日時 | ゲスト | ネタプロデュース |
ペイジワン Vol.1 | 2009.06.02 | 大輪教授、Wコロン | |
ペイジワン Vol.2 | 2009.07.08 | 超新塾、チャンス大城 | |
ペイジワン Vol.3 | 2009.08.17 | インスタントジョンソン、冷蔵庫マン | |
ペイジワン Vol.4 | 2009.09.17 | 東京ダイナマイト、やまもとまさみ | |
ペイジワン Vol.5 | 2009.10.20 | 鬼ヶ島、山本高広 | |
ペイジワン Vol.6 | 2009.11.17 | 安井順平、ロッチ、土田晃之 | |
ペイジワン Vol.7 | 2009.12.15 | すぎ(インスタントジョンソン)、サンキュー安富+(超新塾)、かねきよ勝則(新宿カウボーイ)、山本しろう(エルシャラカーニ)、山田ルイ53世(髭男爵)、鍛冶輝光(さくらんぼブービー)、渡辺敬介(ぼれろ) | |
ペイジワン Final | 2010.01.22 | インスタントジョンソン、杉山えいじ | |
ペイジワンR Vol.1/25 | 2010.03.03 | Wコロン、グーとパー | |
ペイジワンR Vol.2/25 | 2010.04.20 | ゴー☆ジャス、ハマカーン、清和太一(エルシャラカーニ) | |
ペイジワンR Vol.3/25 | 2010.05.21 | ユリオカ超特Q、スパローズ、島田秀平 | |
ペイジワンR Vol.4/25 | 2010.06.23 | 風藤松原、弾丸ジャッキー | |
ペイジワンR Vol.5/25 | 2010.07.20 | 大輪教授、THE GEESE、清和太一(エルシャラカーニ) | |
ペイジワンR Vol.6/25 | 2010.08.19 | イワイガワ、TAIGA | |
ペイジワンR Vol.7/25 | 2010.09.21 | ずん、キングオブコメディ、大輪教授 | |
ペイジワンR Vol.8/25 | 2010.10.25 | キャン×キャン、げんしじん、高倉陵(三拍子) | |
ペイジワンR Vol.9/25 | 2010.11.18 | トップリード、今泉、鳥居みゆき(大型連休)、高倉陵(三拍子) | |
ペイジワンR Vol.10/25 | 2010.12.24 | くじら、大輪教授、田上よしえ、チャンス大城、山本しろう(エルシャラカーニ)、高倉陵(三拍子) | |
ペイジワンR Vol.11/25 | 2011.01.20 | 今泉、キャプテン渡辺、尾関高文(THE GEESE)、井戸田潤(スピードワゴン) | |
ペイジワンR Vol.12/25 | 2011.02.20 | AMEMIYA、パペットマペット、森田拓馬 | 大輪教授 |
ペイジワンR Vol.13/25 | 2011.03.23 | ふとっちょ☆カウボーイ、杉山えじ、TAIGA、ヴィンテージ、THE GEESE、井上マー、高倉陵(三拍子) | 岩崎う大(かもめんたる) |
ペイジワンR Vol.14/25 | 2011.04.21 | エレファントジョン、マシンガンズ | チャンス大城 |
ペイジワンR Vol.15/25 | 2011.05.19 | 永野、ZEN | やまもとまさみ |
ペイジワンR Vol.16/25 | 2011.06.22 | 与座よしあき、THE GEESE、大輪教授 | 永野 |
ペイジワンR Vol.17/25 | 2011.07.21 | えんにち、キャプテン渡辺 | TAIGA |
ペイジワンR Vol.18/25 | 2011.08.18 | Hi-Hi、コージー冨田 | 冷蔵庫マン |
ペイジワンR Vol.19/25 | 2011.09.21 | 台風のため中止 | |
ペイジワンR Vol.20/25 | 2011.10.20 | トップリード、ビーグル38 | ゴー☆ジャス |
ペイジワンR Vol.21/25 | 2011.11.22 | バイきんぐ、磁石 | キャプテン渡辺 |
ペイジワンR Vol.22/25 | 2011.12.21 | 超新塾、トミドコロ | 原田17才 |
ペイジワンR Vol.23/25 | 2012.01.22 | ハリウッドザコシショウ、ハマカーン、ラバーガール | スギちゃん |
ペイジワンR Vol.24/25 | 2012.02.21 | 大輪教授、くじら、キャプテン渡辺、小峠英二(バイきんぐ)、野田祐介(鬼ヶ島) | |
ペイジワンR Vol.25/25 Final | 2012.03.21 | スピードワゴン、マシンガンズ、エレファントジョン、ハマーン、THE GEESE、冷蔵庫マン、くじら、三拍子、TAIGA | キャプテン渡辺、チャンス大城(ともに再演) |
ペイジワンZ Vol.1 | 2012.06.22 | ダブルブッキング、じゅんいちダビッドソン | くじら |
ペイジワンZ Vol.2 | 2012.07.17 | クールポコ、風藤松原 | じゅんいちダビッドソン |
ペイジワンZ Vol.3 | 2012.08.17 | バイきんぐ、ねづっち(Wコロン)、じゅんいちダビッドソン | ねづっち(Wコロン) |
ペイジワンZ Vol.4 | 2012.09.18 | トップリード、ツィンテル、浜谷健司(ハマカーン) | ふとっちょ☆カウボーイ |
ペイジワンZ Vol.5 | 2012.10.19 | アルコ&ピース、浜谷健司(ハマカーン)、じゅんいちダビッドソン | げんしじん |
ペイジワンZ Vol.6 | 2012.11.20 | オジンオズボーン、新宿カウボーイ、じゅんいちダビッドソン | 小島よしお |
ペイジワンZ Vol.7 | 2012.12.18 | 瞬間メタル、与座よしあき、大輪教授、じゅんいちダビッドソン | 鳥居みゆき |
ペイジワンZ Vol.8 | 2013.01.21 | キャプテン渡辺、ゆってぃ、田上よしえ、TAIGA、くじら、じゅんいちダビッドソン | |
ペイジワンZ Vol.9 | 2013.02.19 | タイムマシーン3号、どぶろっく、冷蔵庫マン | ラブシングル中田 |
ペイジワンZ Vol.10 | 2013.03.19 | マシンガンズ、風藤松原、TAIGIA | THE石原 |
ペイジワンZ Vol.11 | 2013.04.23 | やまもとまさみ、さらば青春の光、ふとっちょ☆カウボーイ、くじら | 高倉陵(三拍子) |
ペイジワンZ Vol.12 | 2013.05.21 | ラブレターズ、流れ星、あばれる君 | 田上よしえ |
ペイジワンZ Vol.13 | 2013.06.24 | エルシャラカーニ、ジグザグジギー、じゅんいちダビッドソン | ちゅうえい(流れ星) |
ペイジワンZ Vol.14 | 2013.07.22 | 鬼ヶ島、THE GEESE、ロビンソンズ | あかつ |
ペイジワンZ Vol.15 | 2013.08.20 | トップリード、三四郎、ドリーマーズ、プリセンス金魚 | 今泉 |
「一人の芭蕉の問題」
昼間、どこかの市で最高気温の記録が塗り変わっただとか、そんな話をしているテレビを消して、リュックサックを持った一人の芭蕉はゆっくりと玄関を出た。もう一人の芭蕉を探すためである。
アパートから駅までをつなぐ、国道沿いの一本道はもう静まり返っていて、時折サラリーマンが帰途を急いでいるのとすれ違うだけだった。駅に着いた一人の芭蕉は磁気カードを改札に添えて、構内に入る。時刻表を確認すると、次が最終電車であることがわかった。ベンチに座っていると、やがて電車がやってくる。
電車には誰ひとりとして乗客がいない。一人の芭蕉は座席に腰掛ける。
もう一人の芭蕉を探す、といっても、あてなどない。それどころか、もう一人の芭蕉が、この世に存在するという証拠すらない。それでも一人の芭蕉は、もう一人の芭蕉がどこかにいると確信してしまったのだ。だから、探さざるを得ない。
一人の芭蕉はリュックサックのなかにある、ただひとつのものを思う。夕食にカレーを作ったときに、人参や何かを切って、洗ってすらいないまま持ってきたそれには、野菜屑がまだへばりついていた。なぜそれを持ってきたのか、一人の芭蕉は自分でもわからずにいる。もう一人の芭蕉を出会ったら、自分はそれを殺すのだろうか。
一人の芭蕉は目を瞑った。
自分のようであり、しかしどこかで決定的に違っていて(例えば眼の色や、耳の形、それら複数……)、いくらかぼかしをかけたように曖昧な輪郭をしたもう一人の芭蕉の内部に、ゆっくりとそれは沈んでいく。一人の芭蕉の耳には砂漠のようなノイズが延々と流れ込んでいて、それ以外の音をすべて遮断していた。
そのとき、それともう一人の芭蕉の間隙から、赤い液体が流れだした。と思うと、液体は不自然なほど波打ち、試行錯誤を繰り返すようにうねる。……やがて、少しずつ形を成していく。色も変わり、複雑なグラデーションを帯び始めた。その頃にはもう疑いようがなくなっていた。三人目の芭蕉が、もう一人の芭蕉から産まれている。そしてもう一人の芭蕉からは、まだ赤い液体が流れ続け、無数の芭蕉へと変化していくのだった。無数の芭蕉は無秩序に蠢きながら、一人の芭蕉のもとへと近付いていた……。
そこで、一人の芭蕉は眼を醒ました。ただ眼を瞑っていただけなのに、眠ってしまっていたらしい。
知らず荒くなっていた呼吸を整える。
……それにしても、この電車、全然止まりそうにないな。確認せずに乗ってしまったけど、急行だったか、快速だったか――
そこまで考えたところで、強襲されたように、身体の奥から塊のような眠気が再び迫り上がり、拡散し、脳天まで届いて……、線路の継ぎ目が描く規則正しい拍に導かれるように、一人の芭蕉は再び眠りへと落ちていった。
「虚実のあわいとかいう表現を最初に考えた奴を窓から投げ捨てたい」
いやさ、その、ちょっと前から、怪談書いてるとかっていう話してたでしょ? で、それは創作で書いてるんだけど、怪談には実話っていうジャンルがあって、要は「新耳袋」みたいなさ、これは誰々さんから聞いた話で……、みたいなのがあってさ、そういうのも、ちょっと興味はあったわけ。けどさあ、そんなんどうやって集めんのかね? 取材とかっていうけどさ。頭のおかしいヤツみたいじゃん。普通に。で、本とか読んだら、とりあえず撒き餌みたいな感じで、自分からなんかしらの話をしたらいいらしいんだよ。でもそんなもんねーし、って思ってたんだけど、よく思い出したらあったんだよひとつだけ。変な、……おかしなことがさあ。だから、ちょっと聞いてくれないかな。
子供のころ、俺、友達いなくて。全然。もう思い出っていったらあ、昼休みに校庭をぐるぐるぐるぐる回ってたらいつのまにか五時間目が始まってたとか、蟻が何匹か地面をうろうろしてるのに役割を与えて頭ん中で物語作って、最後全部指で潰して「おしまい」って呟いて、指に残った蟻の潰れたのをじっと見つめてたりとか、そんな思い出しかなくって。で、もう、全然覚えてないんだって。何をって、だから、*hoge*とどういういきさつで友達になったか、だよ。*hoge*はクラスメイトだった。確か、*hoge*にも友達はいなかったと思う。だからって、同じように友達がいない俺と仲良くしなくちゃいけない謂れはないから、結局なんかしらのきっかけがあって仲良くなったんだと思うんだけど、それが思い出せねーんだよまったく。ひとつも。そもそも*hoge*との記憶すら曖昧で、友達だったはずなのに、曖昧で。そうだな、せいぜい……暑い夏に、すげー暑い夏だよ。近所の小さな公園があって。滑り台があって。なんていうの? 滑る部分がなんか鉄板みたいな加工になってて、どうしようもなく熱くなるわけ。で、その上で、当然滑りなんかしなくて、ポケモンカードを交換してたわけ。俺、ポケモンカードなんか集めてなかったんだけど、なんかもらってて。それがひとつ。で、あともうひとつが、*hoge*んちね。*hoge*んちに行ったの。麦茶出された記憶があるから、やっぱ夏なのかな。ぜんぶ、ぜんぶひとつの夏の話だったのかもしれないな。*hoge*んちに行ったら、でっかいポスターがあって。どこに? さあ、それは覚えてないけど。それがさ、その絵柄が、なんていうかかすげーのっぺりとしてて……ちゃぶ台みたいなのを家族が囲んでて、なんか標語みたいなのが書いてあって。そんとき、変だな、って思ったのがあ、その、変なスペースがあんだよ。家族がちゃぶ台囲んでる。父親、母親、子供がふたりくらいいて、で、空きスペースがあるわけ。それがすげー変だと思って。何これ?と思って、でも聞けなくて。そんだけなんだけど。で、たぶんそのすぐ後くらいだと思うんだけどね、*hoge*が突然入院したわけ。で、全然退院する気配もなくって。それで、俺、そのころ結構学校とか休みがちだったから、まあなんかの病気で何日か学校休んで、出たら、担任が「前田くんは転校しました」とか言うんだよ。へ?って思って。俺が学校休んでる間に*hoge*が転校するなんて、そんなことある?とか思って。でも、まあ、なんかすぐにどうでもよくなっちゃったんだよね。その頃からいじめられるようなってたし。んで、そのしばらく後だったかに、たまたまね、街ん中に*hoge*んちにあったものと同じポスターを見かけたんだよ。あ、って思って。近付いたら、ある宗教団体のポスターで。あー、そういうことだったのかって思って。でもなんか違和感があって。すぐ気付いたよ。あの空きスペースが埋まってるって。そしたらもう直ぐだよな。あ、*hoge*いるわ、こん中に、ってね。
は? そういうのは怪談とはちょっと違うんじゃないかって? そうなん? よくわかんねーわ。まあいいじゃん。どうせ作り話だし。どっか作り話かって? そりゃお前、ぜんぶ……ってわけじゃねーんだよな。いたもん。*hoge*。覚えてるし。なあ? さっき言ったろだって。寒い、寒いさ、冬の日に、雪が降って薄い氷が貼り付いた滑り台の上で、当然滑りなんかせずに遊戯王カードを交
浜口浜村単独ライブ「浜口浜村か?」
浜口浜村のネタが初めて「刺さった」のは2012年11月のライジングオレンジで、ジグザグジギーや三四郎が気になって観に行ったライブだった。それ以前にも何度か観たことがあって、気になる存在ではあるけど、ひねったネタをやるコンビ、以上の印象はなかった。けれども、それまでのいまいち刺さらない感じをはっきりと覆されたのが、その日の「ストーカー」だった。
浜村(ボケ)が自分はストーカーであると告白するが、よく話を聞くと……という導入から始まるこのネタは、奇妙な設定のなかで語られる論理がすべてボケとして機能するという骨格を持ったネタで、控えめにいって、一発でやられた。そこにいる浜村は、いわゆる「信用できない語り手」で、その語りが浜口のツッコミによって一個の漫才として立ち上がってくる、「強い」漫才だった。追いかけたい、と思った。
けれども正直にいって、それほど頻繁にライブに通える状況でない自分が、それから浜口浜村を観たのは数度だけだ。たとえば、おそらく現状の浜口浜村を語るうえで欠かせないライブ「浜口浜村の自主ライブくん」も観ていない(先述のライジングオレンジの直後に最終回があったが、仕事だった)。そのなかで、印象に残っているのは2013年2月の「Simple Set HARF」で、その前日に「オンバト+」で117KBという低キロバトルをたたき出した彼らは、その事実をもネタに取り込んでまたもや「語った」。浜村が浜口を、自分が作ったお笑いロボットであると主張するその漫才のなかで、彼らがおかれた現状は舞台装置の一部となった。僕はふと、佐藤友哉のようだと思った。「クリスマス・テロル」を読んですぐ、「新現実 Vol.1」を買いに走った日のことを思い出した。
そして単独ライブ。
絶対に見逃せないと思った。
それはやはり、巨大な語りだった。ひとつひとつのネタで浜口は浜村に、観客に、自分に、現状に、語りかけた。そしてその語りすら語りの対象となって、メタ構造が語って、ライブが語って、ついでに僕の後ろで関係者席に座っていたウエストランドの井口が語って、見終えた観客ひとりひとりが、浜口浜村について、その単独ライブについて語った。巨大なディスクール(急に思い出した単語)。
浜口浜村の周縁にはつねに語りがあって、奇妙な論理に貫かれたそれは、内包する切実さをちらつかせながら僕らの語りを誘発する。そして僕らが耐えきれずに語り始める時、それを共有できる人々の少なさへのやりきれなさも同時に浮かび上がってくる。
もっと多くの人が浜口浜村のことを知りますように。
コアバラエティの平成史(の一断面(についての一考察))
1,
「テレビ誕生100周年記念番組/テレビ東京・CBB共同制作」
黒く塗りつぶされた背景のもとに浮かび上がる白い文字で、「ジョージ・ポットマンの平成史」は始まる。2011年7月に特番として放送されたのち、2011年10月から2012年3月まで放送されたこの番組は、現在のテレビバラエティの標準的な水準から大きく逸脱した作り込みと精密さによって、静かに支持を得てきた。
語り手を務めるのはヨークシャー州立大学の教授であるジョージ・ポットマン。新進気鋭の歴史学者である彼が、「それまでの日本文明とは明らかに異なる特殊性を持つ」平成時代の日本について行ってきた研究を、イギリスCBBが番組化したものが「ジョージ・ポットマンの平成史」である。
ジョージ・ポットマン教授は、取り上げるテーマ(たとえば「童貞史」であるとか「マンガの汗史」であるとか……)について取材を重ね、国会図書館に通い詰め、文献や映像から「歴史」を作り上げていく。その論理は綱渡りに綱渡りを重ね、突っ込みを入れようとすれば限りがない。しかし、教授の重みのある口調や映像の説得力によって、「なんとなくその通りなんじゃないか」と思わされてしまうのがこの番組の力である(もちろん、実際に一面の真理を衝いていることもあるだろう)。
「ジョージ・ポットマンの平成史」を観た多くの視聴者が容易に連想したかつての名番組に「カノッサの屈辱」がある。1990年4月から1991年3月まで放送されたこの番組は、「アイスクリーム」や「ニューミュージック」など硬軟織り交ぜた題材を、なかば強引に歴史上の人物・事象に(駄洒落を駆使しながら)なぞらえるという内容だった。その馬鹿馬鹿しさと表裏一体となった知的さが評価され、フジテレビ深夜番組のなかでも代表的な作品として現在でもあげられることが多い。
プロデューサーの高橋弘樹はインタビューで、特番放送時まで「カノッサ」を見たことがないと語るとともに、《実際にあった歴史を偽史としてほかのものになぞらえて》いる「カノッサ」と、《ありえないような事実を探していく》自分の番組には違いがあると語っているが、これは逆に「事実」と「偽史」というふたつの番組の構成要素の類似を浮き彫りにする説明ではないかとも思う(探された事実は「偽」の語り手であるジョージ・ポットマン教授によって語られる)。
いずれにせよ、比較されることの多い「カノッサ」と「平成史」であるが、20年という時間のなかで、その構造にはある変化が起きている。
「カノッサの屈辱」において、画面に登場する人物は仲谷昇教授ただひとりである。その教授も(基本的には)番組の冒頭とラストに登場するのみであり、本編はナレーションのみで進行する。ここで模されているのは大学の講義である。一方「平成史」で模されているのは、高橋によれば「BBCのドキュメンタリー」であるという。そのためジョージ・ポットマン教授のほか、各回にはさまざまな大学教授をはじめ、独特のセンスでキャスティングされたゲストたちが登場する。
つまり、「カノッサ」では、「テレビの外部」がテレビにおいて模されているが、「平成史」では「テレビの内部」がテレビにおいて模されているのである。もちろんコントなどで、「テレビの風景」は幾度となくパロディの対象となっていた。しかし、「平成史」において重要なのは、まずその対象がたとえばゴールデンタイムの番組のような、メジャーなコンテンツではないことだ。地上波の深夜番組を観る層と、「BBCのドキュメンタリー」を好んで観る視聴者はおそらくあまり重ならない。しかし、積極的にテレビを見てきた視聴者であれば、どこかでは(例えばNHKスペシャルなどで)観てきた光景でも、一方ではある。過去の《なんとなく》を記憶の奥底から引っ張りだして、目の前のジョージ・ポットマン教授を結びつけることができる視聴者こそが、「ジョージ・ポットマンの平成史」において対象になっているといえる。 実はこの構造は「カノッサ」でも同様だ。さきほど「カノッサ」は大学の講義を模していると述べたが、つまり乱暴にいえば大学の講義に出席した体験がなくては、実感としてその光景をなぞることはできない(繰り返すが、乱暴に言っている)ということになる。つまり、「平成史」と同じく、はじめから番組全体の光景を「理解」できる視聴者を対象にしているといえる。20年が経ち、その「絞り込み」のフィルターが、「テレビの外部」から「テレビの内部」へと移行することができたとするならば、それだけテレビという世界の自己言及性が増したという言い方もできるかもしれない。
2.
テレビの自己言及性について考えるときに、私にはもうひとつ想起されるサンプルがある。2011年11月に「クイズ☆タレント名鑑」という番組で放送された「GO!ピロミ殺人事件」という企画だ。個人的には、去年観たテレビバラエティの企画のなかでももっとも強いインパクトを残したものだ。
「クイズ☆タレント名鑑」は2009年から不定期に特番として放送されたのち、2010年8月から2012年3月までは日曜夜8時という、いわゆるゴールデンタイムでレギュラー放送されていたクイズ番組である。有名人の名前と一緒に検索された言葉から、その人物を当てる(一方で、下衆な想像を喚起させる名前を回答者から引き出す)「検索ワード連想クイズ」をはじめとして、出演者によって「悪意の塊」と表現される演出と、テレビへの愛情が綯い交ぜとなり、特にテレビ好きと称されるような視聴者から支持を得た番組である。
「GO!ピロミ殺人事件」という企画で起きたことを大雑把に述べてしまうと「クイズ番組のなかで唐突に出演者が死亡し、推理ドラマが始まる」というものだ。このことについては事前にいっさい説明がなされておらず(ただしTwitterでは公式アカウントやスタッフが「何かがある」「今回は凄い」といったかたちで告知していた)、とにかくあらゆる意味であまりにも強烈な企画だった。
「GO!ピロミ殺人事件」は通常通りに番組が進み、半分くらい進行したところで、幕が上がって登場するはずのGO!ピロミが倒れているところから始まる。エッジの利いた番組であるとはいえ、平和なバラエティ番組のさなかに、突如として「死」が介入してくること自体が、まず衝撃的であるといえる。
バラエティのなかに介入してくる「死」といえば、ある視聴者に対するドッキリが思い出される。1991年に「とんねるずのみなさんのおかげです」で放送された「緊急放送!盲腸に倒れる 木梨憲武さんを偲んで…」である。当時盲腸で入院していた木梨が死亡したという設定で、追悼特番が粛々と進行するが、やがて木梨が登場してネタバラシになる、という構成だ。その映像の一部は現在もネットで観ることができるが、不自然な点も多いとはいえ一目で嘘だと断定するのは、今の目から観ても難しいように思える。
私はさきほど述べた「カノッサの屈辱」と「ジョージ・ポットマンの平成史」の違いに類似したものを、この「木梨憲武さんを偲んで…」と「GO!ピロミ殺人事件」からも感じる。先ほどとは異なり、どちらもテレビの内部をパロディにした企画であるが、構造はより複雑になっている。木梨が盲腸で入院していたという「現実」を利用したドッキリは、多くの一般人に対し強烈なインパクトを与えた。それだけに尋常ではない量の苦情も寄せられたという。
一方、「GO!ピロミ殺人事件」はといえば、番組内でのみ知られている(とはいえ別にレギュラーコーナーというわけでもない)モノマネ芸人を主役としてフィーチャーし、探偵役はアシスタントの局アナ。さらに、その回にたまたまキャスティングされていたモノマネ芸人が脇役として演技を行い、それどころか「モノマネ芸人」という存在が物語の根幹に関わってくる。別にモノマネ番組のスピンオフ企画というわけでもないのに。とにかく、視聴者に課しているハードルが異様に高い。初めて番組を見た視聴者はもちろん、何度か見たことがあっても何が起こっているのか理解することができない人も多いだろう。苦情をしようにも、そもそも何にどう怒ればいいのかわからない。ここでも、「絞り込み」のフィルターがより深化しているのである。その姿勢は番組全体にも当てはまるものといえた。結果からいえばその姿勢が影響して、おそらく継続に必要な視聴率を獲得することができなかったからか、それから半年も経たずに「クイズ☆タレント名鑑」は終了したが、後継番組として2012年4月から深夜で「テベ・コンヒーロ」がスタートした。少なくともはじめの数回についていえば、「タレント名鑑」のイズムを強く受け継いだ番組になっている。
3.
ここまでの文章で、2010年代に放送された2つの番組について述べてきた。コアな視聴者層から強い支持を得たこれらの番組に共通するのは、過去のテレビが培ってきた方法論やアイディアを受け継ぎながら、より「深い」方向に突き詰めているという点だ。ここでは現在から約20年の過去、90年代初頭のフジテレビの番組との類似をあげたが、この時期のフジバラエティが一種の「黄金期」にあったこと、そしてこの時期のテレビに熱中した世代が今番組作りの中核を担おうとすることを、それらは意味しているのではないだろうか。そしてこれらの番組は、視聴者との間にある種の共犯関係を作り上げてきたともいえる。
2000年代中盤から確立された利益確保の方向性として、ソフト化があげられる。このテキストであげた2番組もその例外ではない(「クイズ☆タレント名鑑」については別企画「ガチ相撲トーナメント」のDVD化)。基本的には、その番組に対して決して少なくない金銭を払ってよいと考える視聴者に向けてソフトは制作されている。そのビジネスモデルのありかたは、コアな番組作りと相性が良い。ソフトを通じて番組と視聴者のあいだに金銭的なやりとりが発生することで、番組と視聴者のあいだの共犯関係がより鮮明になるからだ(そしておそらくは、その金銭の量が、番組のそれからに大きな影響を与える)。
ここで、そういったビジネスモデルと結びついた共犯関係を強く、そして大きな形で作り上げた番組を取り上げたい。「信者」とも揶揄されるファン層を持つこの番組は、しかしスタート地点においては、むしろこれまで取り上げてきたコア層に向けての番組作りとは正反対の場所にいた。
「水曜どうでしょう」が北海道ローカルの番組として始まったのは1996年のことだが、当時を振り返りディレクターの藤村忠寿は著書で、《視聴率の高い番組を作る》ことを目的にして番組を作ることにしていたと語っている。《だから、ターゲットは絞らない。女性も男性も見られるようにする。そこを明確にしておけば、番組作りの根本がブレない。》と続ける藤村は、番組についてこう決める。《女性も男性も見られるようにする。そのためにまず決めたことは、下ネタと恋愛話は入れない、ということ。》
とにかく視聴者を絞り込まないという姿勢は、このテキストでこれまで取り上げてきた番組とは明らかに異なる。しかし、それゆえに番組は、出演者とスタッフである4人の男たちの関係を、さまざまな旅を通じてじっくりと見せ続けることに成功する。いつしか、視聴者と彼らのあいだには「関係」が生まれる。それは、さきほど述べた共犯関係と、あるいはニュアンスの異なりがあるにしても、似たものだ。
正反対の場所から始まった番組作りが、コアなファンからの支持という同じ地点へとたどり着く。これはこれからのバラエティ制作の可能性を示唆しているのだと私は思う。これまでテレビを積み上げてきたものを否定する必要もない。ネットと組むのも悪くない。マスを相手にすればつまらなくなるわけではない。深いところを突き詰めていくこともできる。どれかひとつにとらわれるのではなく、さまざまな方法論を組み合わせて新しいものを見つけていくことこそに、テレビバラエティの可能性があるのではないかと私は思う。
参考文献:
- 「ジョージ・ポットマンが検証する、〈平成〉という試練の時代。」-(「QuickJapan」 Vol.101)
- 「[Power Push]ジョージ・ポットマンの平成史」(お笑いナタリー、http://natalie.mu/owarai/pp/heiseishi)
- 「戦うお笑い番組「クイズ☆タレント名鑑」」(「コメ旬」Vol.3)
- 藤村忠寿「けもの道」(メディアファクトリー)
初出:「Cowper Vol.2」(2012年)