浜口浜村単独ライブ「浜口浜村か?」

浜口浜村のネタが初めて「刺さった」のは2012年11月のライジングオレンジで、ジグザグジギー三四郎が気になって観に行ったライブだった。それ以前にも何度か観たことがあって、気になる存在ではあるけど、ひねったネタをやるコンビ、以上の印象はなかった。けれども、それまでのいまいち刺さらない感じをはっきりと覆されたのが、その日の「ストーカー」だった。
浜村(ボケ)が自分はストーカーであると告白するが、よく話を聞くと……という導入から始まるこのネタは、奇妙な設定のなかで語られる論理がすべてボケとして機能するという骨格を持ったネタで、控えめにいって、一発でやられた。そこにいる浜村は、いわゆる「信用できない語り手」で、その語りが浜口のツッコミによって一個の漫才として立ち上がってくる、「強い」漫才だった。追いかけたい、と思った。
けれども正直にいって、それほど頻繁にライブに通える状況でない自分が、それから浜口浜村を観たのは数度だけだ。たとえば、おそらく現状の浜口浜村を語るうえで欠かせないライブ「浜口浜村の自主ライブくん」も観ていない(先述のライジングオレンジの直後に最終回があったが、仕事だった)。そのなかで、印象に残っているのは2013年2月の「Simple Set HARF」で、その前日に「オンバト+」で117KBという低キロバトルをたたき出した彼らは、その事実をもネタに取り込んでまたもや「語った」。浜村が浜口を、自分が作ったお笑いロボットであると主張するその漫才のなかで、彼らがおかれた現状は舞台装置の一部となった。僕はふと、佐藤友哉のようだと思った。「クリスマス・テロル」を読んですぐ、「新現実 Vol.1」を買いに走った日のことを思い出した。
そして単独ライブ。
絶対に見逃せないと思った。
それはやはり、巨大な語りだった。ひとつひとつのネタで浜口は浜村に、観客に、自分に、現状に、語りかけた。そしてその語りすら語りの対象となって、メタ構造が語って、ライブが語って、ついでに僕の後ろで関係者席に座っていたウエストランドの井口が語って、見終えた観客ひとりひとりが、浜口浜村について、その単独ライブについて語った。巨大なディスクール(急に思い出した単語)。
浜口浜村の周縁にはつねに語りがあって、奇妙な論理に貫かれたそれは、内包する切実さをちらつかせながら僕らの語りを誘発する。そして僕らが耐えきれずに語り始める時、それを共有できる人々の少なさへのやりきれなさも同時に浮かび上がってくる。
もっと多くの人が浜口浜村のことを知りますように。