コアバラエティの平成史(の一断面(についての一考察))

1,

「テレビ誕生100周年記念番組/テレビ東京・CBB共同制作」
 黒く塗りつぶされた背景のもとに浮かび上がる白い文字で、「ジョージ・ポットマンの平成史」は始まる。2011年7月に特番として放送されたのち、2011年10月から2012年3月まで放送されたこの番組は、現在のテレビバラエティの標準的な水準から大きく逸脱した作り込みと精密さによって、静かに支持を得てきた。
 語り手を務めるのはヨークシャー州立大学の教授であるジョージ・ポットマン。新進気鋭の歴史学者である彼が、「それまでの日本文明とは明らかに異なる特殊性を持つ」平成時代の日本について行ってきた研究を、イギリスCBBが番組化したものが「ジョージ・ポットマンの平成史」である。
 ジョージ・ポットマン教授は、取り上げるテーマ(たとえば「童貞史」であるとか「マンガの汗史」であるとか……)について取材を重ね、国会図書館に通い詰め、文献や映像から「歴史」を作り上げていく。その論理は綱渡りに綱渡りを重ね、突っ込みを入れようとすれば限りがない。しかし、教授の重みのある口調や映像の説得力によって、「なんとなくその通りなんじゃないか」と思わされてしまうのがこの番組の力である(もちろん、実際に一面の真理を衝いていることもあるだろう)。
 
ジョージ・ポットマンの平成史」を観た多くの視聴者が容易に連想したかつての名番組に「カノッサの屈辱」がある。1990年4月から1991年3月まで放送されたこの番組は、「アイスクリーム」や「ニューミュージック」など硬軟織り交ぜた題材を、なかば強引に歴史上の人物・事象に(駄洒落を駆使しながら)なぞらえるという内容だった。その馬鹿馬鹿しさと表裏一体となった知的さが評価され、フジテレビ深夜番組のなかでも代表的な作品として現在でもあげられることが多い。
 プロデューサーの高橋弘樹はインタビューで、特番放送時まで「カノッサ」を見たことがないと語るとともに、《実際にあった歴史を偽史としてほかのものになぞらえて》いる「カノッサ」と、《ありえないような事実を探していく》自分の番組には違いがあると語っているが、これは逆に「事実」と「偽史」というふたつの番組の構成要素の類似を浮き彫りにする説明ではないかとも思う(探された事実は「偽」の語り手であるジョージ・ポットマン教授によって語られる)。
 いずれにせよ、比較されることの多い「カノッサ」と「平成史」であるが、20年という時間のなかで、その構造にはある変化が起きている。
カノッサの屈辱」において、画面に登場する人物は仲谷昇教授ただひとりである。その教授も(基本的には)番組の冒頭とラストに登場するのみであり、本編はナレーションのみで進行する。ここで模されているのは大学の講義である。一方「平成史」で模されているのは、高橋によれば「BBCのドキュメンタリー」であるという。そのためジョージ・ポットマン教授のほか、各回にはさまざまな大学教授をはじめ、独特のセンスでキャスティングされたゲストたちが登場する。
 つまり、「カノッサ」では、「テレビの外部」がテレビにおいて模されているが、「平成史」では「テレビの内部」がテレビにおいて模されているのである。もちろんコントなどで、「テレビの風景」は幾度となくパロディの対象となっていた。しかし、「平成史」において重要なのは、まずその対象がたとえばゴールデンタイムの番組のような、メジャーなコンテンツではないことだ。地上波の深夜番組を観る層と、「BBCのドキュメンタリー」を好んで観る視聴者はおそらくあまり重ならない。しかし、積極的にテレビを見てきた視聴者であれば、どこかでは(例えばNHKスペシャルなどで)観てきた光景でも、一方ではある。過去の《なんとなく》を記憶の奥底から引っ張りだして、目の前のジョージ・ポットマン教授を結びつけることができる視聴者こそが、「ジョージ・ポットマンの平成史」において対象になっているといえる。 実はこの構造は「カノッサ」でも同様だ。さきほど「カノッサ」は大学の講義を模していると述べたが、つまり乱暴にいえば大学の講義に出席した体験がなくては、実感としてその光景をなぞることはできない(繰り返すが、乱暴に言っている)ということになる。つまり、「平成史」と同じく、はじめから番組全体の光景を「理解」できる視聴者を対象にしているといえる。20年が経ち、その「絞り込み」のフィルターが、「テレビの外部」から「テレビの内部」へと移行することができたとするならば、それだけテレビという世界の自己言及性が増したという言い方もできるかもしれない。


2.

 テレビの自己言及性について考えるときに、私にはもうひとつ想起されるサンプルがある。2011年11月に「クイズ☆タレント名鑑」という番組で放送された「GO!ピロミ殺人事件」という企画だ。個人的には、去年観たテレビバラエティの企画のなかでももっとも強いインパクトを残したものだ。

クイズ☆タレント名鑑」は2009年から不定期に特番として放送されたのち、2010年8月から2012年3月までは日曜夜8時という、いわゆるゴールデンタイムでレギュラー放送されていたクイズ番組である。有名人の名前と一緒に検索された言葉から、その人物を当てる(一方で、下衆な想像を喚起させる名前を回答者から引き出す)「検索ワード連想クイズ」をはじめとして、出演者によって「悪意の塊」と表現される演出と、テレビへの愛情が綯い交ぜとなり、特にテレビ好きと称されるような視聴者から支持を得た番組である。
 「GO!ピロミ殺人事件」という企画で起きたことを大雑把に述べてしまうと「クイズ番組のなかで唐突に出演者が死亡し、推理ドラマが始まる」というものだ。このことについては事前にいっさい説明がなされておらず(ただしTwitterでは公式アカウントやスタッフが「何かがある」「今回は凄い」といったかたちで告知していた)、とにかくあらゆる意味であまりにも強烈な企画だった。
「GO!ピロミ殺人事件」は通常通りに番組が進み、半分くらい進行したところで、幕が上がって登場するはずのGO!ピロミが倒れているところから始まる。エッジの利いた番組であるとはいえ、平和なバラエティ番組のさなかに、突如として「死」が介入してくること自体が、まず衝撃的であるといえる。
 バラエティのなかに介入してくる「死」といえば、ある視聴者に対するドッキリが思い出される。1991年に「とんねるずのみなさんのおかげです」で放送された「緊急放送!盲腸に倒れる 木梨憲武さんを偲んで…」である。当時盲腸で入院していた木梨が死亡したという設定で、追悼特番が粛々と進行するが、やがて木梨が登場してネタバラシになる、という構成だ。その映像の一部は現在もネットで観ることができるが、不自然な点も多いとはいえ一目で嘘だと断定するのは、今の目から観ても難しいように思える。

 私はさきほど述べた「カノッサの屈辱」と「ジョージ・ポットマンの平成史」の違いに類似したものを、この「木梨憲武さんを偲んで…」と「GO!ピロミ殺人事件」からも感じる。先ほどとは異なり、どちらもテレビの内部をパロディにした企画であるが、構造はより複雑になっている。木梨が盲腸で入院していたという「現実」を利用したドッキリは、多くの一般人に対し強烈なインパクトを与えた。それだけに尋常ではない量の苦情も寄せられたという。
 一方、「GO!ピロミ殺人事件」はといえば、番組内でのみ知られている(とはいえ別にレギュラーコーナーというわけでもない)モノマネ芸人を主役としてフィーチャーし、探偵役はアシスタントの局アナ。さらに、その回にたまたまキャスティングされていたモノマネ芸人が脇役として演技を行い、それどころか「モノマネ芸人」という存在が物語の根幹に関わってくる。別にモノマネ番組のスピンオフ企画というわけでもないのに。とにかく、視聴者に課しているハードルが異様に高い。初めて番組を見た視聴者はもちろん、何度か見たことがあっても何が起こっているのか理解することができない人も多いだろう。苦情をしようにも、そもそも何にどう怒ればいいのかわからない。ここでも、「絞り込み」のフィルターがより深化しているのである。その姿勢は番組全体にも当てはまるものといえた。結果からいえばその姿勢が影響して、おそらく継続に必要な視聴率を獲得することができなかったからか、それから半年も経たずに「クイズ☆タレント名鑑」は終了したが、後継番組として2012年4月から深夜で「テベ・コンヒーロ」がスタートした。少なくともはじめの数回についていえば、「タレント名鑑」のイズムを強く受け継いだ番組になっている。


3.

 ここまでの文章で、2010年代に放送された2つの番組について述べてきた。コアな視聴者層から強い支持を得たこれらの番組に共通するのは、過去のテレビが培ってきた方法論やアイディアを受け継ぎながら、より「深い」方向に突き詰めているという点だ。ここでは現在から約20年の過去、90年代初頭のフジテレビの番組との類似をあげたが、この時期のフジバラエティが一種の「黄金期」にあったこと、そしてこの時期のテレビに熱中した世代が今番組作りの中核を担おうとすることを、それらは意味しているのではないだろうか。そしてこれらの番組は、視聴者との間にある種の共犯関係を作り上げてきたともいえる。
 2000年代中盤から確立された利益確保の方向性として、ソフト化があげられる。このテキストであげた2番組もその例外ではない(「クイズ☆タレント名鑑」については別企画「ガチ相撲トーナメント」のDVD化)。基本的には、その番組に対して決して少なくない金銭を払ってよいと考える視聴者に向けてソフトは制作されている。そのビジネスモデルのありかたは、コアな番組作りと相性が良い。ソフトを通じて番組と視聴者のあいだに金銭的なやりとりが発生することで、番組と視聴者のあいだの共犯関係がより鮮明になるからだ(そしておそらくは、その金銭の量が、番組のそれからに大きな影響を与える)。
 ここで、そういったビジネスモデルと結びついた共犯関係を強く、そして大きな形で作り上げた番組を取り上げたい。「信者」とも揶揄されるファン層を持つこの番組は、しかしスタート地点においては、むしろこれまで取り上げてきたコア層に向けての番組作りとは正反対の場所にいた。
水曜どうでしょう」が北海道ローカルの番組として始まったのは1996年のことだが、当時を振り返りディレクターの藤村忠寿は著書で、《視聴率の高い番組を作る》ことを目的にして番組を作ることにしていたと語っている。《だから、ターゲットは絞らない。女性も男性も見られるようにする。そこを明確にしておけば、番組作りの根本がブレない。》と続ける藤村は、番組についてこう決める。《女性も男性も見られるようにする。そのためにまず決めたことは、下ネタと恋愛話は入れない、ということ。》
 とにかく視聴者を絞り込まないという姿勢は、このテキストでこれまで取り上げてきた番組とは明らかに異なる。しかし、それゆえに番組は、出演者とスタッフである4人の男たちの関係を、さまざまな旅を通じてじっくりと見せ続けることに成功する。いつしか、視聴者と彼らのあいだには「関係」が生まれる。それは、さきほど述べた共犯関係と、あるいはニュアンスの異なりがあるにしても、似たものだ。
 正反対の場所から始まった番組作りが、コアなファンからの支持という同じ地点へとたどり着く。これはこれからのバラエティ制作の可能性を示唆しているのだと私は思う。これまでテレビを積み上げてきたものを否定する必要もない。ネットと組むのも悪くない。マスを相手にすればつまらなくなるわけではない。深いところを突き詰めていくこともできる。どれかひとつにとらわれるのではなく、さまざまな方法論を組み合わせて新しいものを見つけていくことこそに、テレビバラエティの可能性があるのではないかと私は思う。

参考文献:

初出:「Cowper Vol.2」(2012年)