ビーケーワン怪談大賞投稿作品(全-1)

第6回「慰霊碑」

 高校に通学してたとき通っていた公園には、関東大震災の被災者が祀られた慰霊碑がありました。この公園に避難した数万人に及ぶ近隣住民は、火炎の竜巻に包まれて残らず焼け死んだのだといいます。この高校に通っている生徒なら、毎年のように全校集会で聞かされる話です。
 あれは二年の秋だったと思います。放課後、公園を歩いていた僕は、その慰霊碑の前を通りかかったときに、不意にぞっとしたものを感じました。首筋から脊髄を、ひんやりとした感覚が通り抜けていくような。あるいは誰かにそっと、背骨をなぞられたかのよう
な。
 反射的に振り向きましたが、終業直後でもない、部活終わりでもない中途半端な時間だからか、誰の姿もありません。居心地の悪さを感じて、ふたたび歩き出そうとしたとき、視界が一気に広がって、その全面に炎が巻き上がり、そして瞬く間にそれは僕の全身を包みました。
 氷に触り続けているとある瞬間から冷たさが熱さに変わるように、さきほどまで感じていた冷気が一瞬のうちに熱になりました。熱はさらに痛みに変わり、全身が引き千切れるような激痛が身体じゅうに拡散します。その場に倒れこんで、永遠の休息を得ることを身体が求めているのですけど、薄れゆく感覚はしかし、ぎりぎりのところで保たれます。そして身体を包み込んでいる肉体と脂肪が黒い焦げ屑になり、舞い散っていることすら意識に伝えてきます。
 やがて自分が一個の塊に化したことを理解したとき、すっとすべての感覚が薄れ、僕は慰霊碑の前に立っていました。全校集会で教頭が話す教訓めいた台詞が頭のなかを反響し、そして僕は隅田川に飛び込んで死ぬのを止めたのです。



第6回「お母さん」

 小学生のころ、母親の実家に泊まっていたときのことだ。
 両親が三歳のときに離婚して僕は父親に引き取られたのだが、まれに母親の実家に泊まることもあった。まだ何も理解していない僕にとっては、両親は別々に住んでいて、そしてそれはただそれだけのことだった。
 眠っていた僕は、妙な声で目を覚ました。急な階段を上った先に母親の部屋はあり、泊まっているときはもちろんそこで夜を過ごす。起き上がると、隣に横たわっている母親はまだ瞼を閉じていた。階下から響く、呪文のようなその声は今から思えば経文だったわけだが、当時の僕はそれを理解できず、何かわからない恐れと、そして興味を抱いた。
 僕はそっと部屋を出て、急な階段を降り始めた。そのときはまだ、階段を下りるときは必ず母親か、祖父母が連れ添っていた。僕はひとりでゆっくりと、転げ落ちないように下っていく。一段下りるごとに、その声が大きくなっていくように感じていた。
 やっとのことで一階にたどり着いた僕は、魅入られるように、声のもとへと近づいていた。それはいつも入るのを禁じられていた部屋だった。意を決して襖を開けた瞬間、肩をつかまれる。振り向くと、そこには見たことがないほど恐ろしい表情をした祖父母と、その背後で呆然とする母親の姿があった。祖父の手によって素早く閉じられようとしていた襖の隙間の向こうに、何かしら人影のようなものが見えた。「お母さん」なぜか僕はそう口にしていた。背後に、母親がいるのに。
 それ以来母親は精神の均衡を崩し、階段の上の部屋から出てこなくなったという。あれからもう十年以上経っているが、それから一度も母親の実家には行っていない。ただ彼女は時々祖父母の目を盗んで僕に電話をかけてきて、いつも同じ思い出話をしたあと、ここから出してくれと訴えてくる。僕はそれを聞いた瞬間に電話を切ることにしている。



第6回「耳」

 会社説明会に向かうために行った、見知らぬ街で道に迷ってしまった。もともと大雑把な性格なので、会場までの道のりをメモしたり、印刷したりといったことをほとんどしない。携帯電話から参照できる住所と街路図だけでたいていはたどり着けるが、たまにこういうことになってしまう。
 それなりに早く最寄り駅に着いたというのに、ぎりぎりの時間になっていた。会場をいったん確認したら何か腹に入れようと思っていたのに、それもできそうにない。今度こそ正しいはずだと思いながら、小さな路地に入る。すると、その路地には点々と耳が落ちていた。それぞれ少しずつ形の違った右耳が連なって、一本の線を描いている。
 ……気が付くと、走り出していた。正直にいって、間に合わないようだったら帰っても構わないと思っていた。選考を受けては、自分が必要とされていない人間であると確認するだけの作業を繰り返す毎日に飽き飽きしていたからだ。どうせ入れやしないのだから無理をする必要もない――けれどその耳の連なりを見た瞬間、訳のわからない焦りが自分のなかに生まれていた。今だ、ここしかない。先輩から何度も聞いていた、「タイミング」や「相性」といった言葉が思い出された。
 耳の連なりはやがてたどり着いた、ビルの中まで続いていた。もちろんエレベータの中にも落ちている。ようやく会場である会議室のある階にたどり着いたときには、もう説明会が始まっていた。椅子がひとつだけ残っている。ずっと途切れなく続いていた耳の連なりは、会議室の中央で唐突に終わっていた。僕はあわてて右耳を千切り、その終点に置く。すると、笑顔を貼り付けた人事が近付いてきて、では左耳を提出してくださいと云った。会場を見回すと、リクルートスーツに身を包んだ学生はみな両耳を欠いていた。



第7回「王妃の首」

 フランス革命に通じている者のあいだでは知られているものの、文献にはほとんど記されることのないひとつの挿話がある。
 十八世紀末、革命の嵐が吹き荒れるパリに、突如としてひとつの噂が流れた。――“ギロチンによって斬られた首と口付けをすると、その主がかつて持っていたものと同等の富を得ることができる”、という。
 はじめはたとえば貴婦人の処刑の後、首が落ちる籠に忍び寄る者が数人現れるのみであり、執行人の助手が追い払えば済む程度であった。しかし噂がパリ中に広まるようになって次第に収拾がつかなくなり、かつて地位が高かった者の処刑の際には、それを利用して公然と助手が金銭を得ようとする有様だった。
 しかしある時期から、首に群がる者の数は目に見えて少なくなった。パリの民が正気に返ったからではない。むしろさらなる狂気のなかにあった。彼らはただひとりの王妃、マリー・アントワネットの首を狙っていたのである(その十ヶ月前に行われた国王ルイ16世の処刑がほぼ無視されたことは興味深い)。
 一七九三年十月十六日、くしくも処刑にあたったのは、長らくギロチンを扱っていたシャルル=アンリではなくその息子だった。処刑ののち放心状態にあった彼は、獣のように押し寄せる群集を抑えることなどできなかった。
 処刑と同時に警備の兵士を薙ぎ倒した群集は、一直線に王妃の首に向かっていった。死者も出たという。その先頭に立っていたのは、名の知られた娼館の女将であった。獲物を見つけた肉食獣さながらの速さで首に唇を寄せた彼女は、しかしそれを成し遂げる直前、痙攣しながら崩れ落ちそのまま狂死した。死までのわずかな時間、彼女は「喋った」という意味の言葉だけを延々と繰り返したが、誰が何を喋ったのか、ということは今に至るまでわからぬままである。



第7回「ウツロ」

 いつも、ウツロは祖父にあてがわれた一室に浮かんでいた。
 少し呆けが始まっている祖父は一日中それに触れようと手を伸ばしていた。もちろんウツロは、何かと接触すると空間凝壊を引き起こしてしまうので、そのゆっくりとした動きから逃れている。僕は家のなかに耳障りな罵り声が聞こえると、祖父の部屋へと足を向けていた。のろのろとした動きでウツロを追いかける祖父と、それから逃れようとするウツロを見ていると、いま起きている揉め事が、この追いかけっこと同様にとてもくだらないものに思えてくるのだった。幾度かの争いののち、結局両親は離婚することになり、僕は母親とともに家を離れた。ウツロのことが気になったが、どうやら僕と祖父にしか見えていないもののようだったから、母親に訊くこともできなかった。
 やがて、その記憶もおぼろげになったころ、かつて住んでいた父親の実家が火事になり、父親と祖父を含めた一家全員が焼死したという知らせが届いた。僕を育てるためにいくつも勤めを兼ねていた母親は僕に黙って葬儀に向かう。そのことに僕も気づいていたが、声をかけることもなかった。やがて帰ってきた母親の背後には予想通りウツロが浮かんでいた。



第7回「森葬」

 N県の東南部、F村にかつて存在したある集落には「森葬」と呼ばれる葬法があった。
 死者が出ると葬儀を行ったのち、一帯を取り囲む森林に設けられた櫓へと屍体を運ぶ。すると翌日の朝には、櫓から屍体は消えうせており、そのかわりに樹のひとつの幹に死者の顔が刻印されている。こうして死者は森と一体となり、いずれその樹が朽ちることによって、葬礼は完結する。
 しかしその葬法も、集落も今はない。あるとき、集落に流行り病が蔓延した。毎日のように集落の者が斃れ、葬儀が行われる。ある日、ついに櫓に入りきらない量の死者が出た。やむなく残されたひとびとはその周辺の地面に屍体を放置して集落に戻った。
 翌朝、集落を取り囲んでいた森の樹はすべて枯れていた。それらを日々の糧にして生きていたひとびとは生活の術を失い、集落は滅びた。今もなおその周辺は一面の禿山であるのだが、上空から一帯を撮影するとその地形はまるで人間の顔のようである。



第9回「闇の中」

 眠るように旅立っていったはずの彼が、まだこの部屋に帰ってくる。どうして《あっち》に行かないのか、何も云おうとしないけれど、何か事情があるのだろう。わたしはもちろん、迎え入れて、それまでと同じ日常を用意してあげる。
 いつまで彼が《こっち》にいられるのかわからないけれど、それまで少しでも長く一緒にいたい。だから会社なんて行かなくていいって云ってるのに、彼は毎日出かけていく。帰りも遅い。その間わたしはあまりの寂しさに震えながら待つ。
          *
 確かにあいつは首を吊っていたのだ。二人で住んでいた部屋で。
 だがあいつは、呆然としている俺の前ですっ、と床に降り立った。そして、「死んじゃったはずじゃ……」と呟く。首にはっきりと痕を残して、赤黒く変色した顔色のまま。
 確かにその数日前まで俺は原因不明の高熱に襲われ寝込んでいた。しかし突然金縛りのような震えがきて、それをきっかけに快復したのだ。だがあいつは俺が死んだと思いこみ、自殺して、しかし俺は生きており、死んだはずのあいつもその認識すらなく活動しており……すべてがちぐはぐだった。
 一見今までと変わりなく生活が行われているように見えたが、あいつの腐蝕は進んでおり、もはやほとんど原型をとどめていなかった。腐臭も酷い。最近は仕事が終わっても夜遅くまで部屋に戻らなくなった。周辺の住人はなぜ何も云ってこないのだろう。
          *
 あの部屋は空き部屋ですよ。なかなか人が入らなくて……ええ、まあ、そんなところですね。
          *
 何を云ってるんですか。その町はもうとっくの昔になくなりましたよ。この間……、何かの間違いじゃないですか。