加門七海・福澤徹三・東雅夫編/てのひら怪談2

出る前から授業で書く最後の書評はこれにしようと思ってたので、書いた。あまり出来はよくない。最後の段は遊んでいる。

“目が覚めると恐竜はまだそこにいた。”

 アウグスト・モンテロッソという作家が書いた「恐竜」という作品の、これが全文である。
 超短編という文芸形態がある。もっとも明確に定義がなされているわけではない。あえていうなら数文字から数百文字で成り立つ文芸作品ということになるが、具体的に文字数が指定されていない場合も多い。代表的な作家としては、バリー・ユアグローや『超短編アンソロジー』(ちくま文庫)を編纂した本間祐などの名があげられる。
 たとえば日本の古典的な文芸として俳句や短歌などがあるが、ある面ではそれらに通じる精神性を持っているともいえるだろう。極限まで文字数を減らすことで読者の想像力をかきたてるその方法論は、冒頭に引用した「恐竜」によく現れている。語り手はなぜ恐竜の目前にいるのか。なぜ語り手は眠っていたのか。何も語らないことでこそ、作品の鋭さが増すのである。

 オンライン書店bk1が主催する「ビーケーワン怪談大賞」は上限を八百字以内と定め、怪談を公募する試みである。この第二集は第五回に応募された六百以上の作品から百作を選び、収録したものだ。
 語り手の想像力をかきたてることで鋭さを増す文芸形態といえば、怪談もそのひとつだ。視覚が遮断された暗闇のなかで蝋燭を囲み、語られることから始まった怪談はもともと、超短編的な特質を持っていたということにはならないだろうか。この二つのジャンルが出会うことは、必然とすらいえるのかもしれない。
 本書の特徴としては、擬似的に百物語を再現していることがあげられる。第一集ではいくつかの作者の作品が複数収録されていたが、この第二集では百人の、百の怪談を収めているのである。そしてそれだけではなく、貝なら貝、通夜なら通夜というように、同一の要素を持った作品が続けて並べられているのだ。つまり、一人の語り手の穴に関する話が終わると、別の誰かが「穴といえば……」と次の話を始める、といったように、怪談が連鎖して百物語が続いていくさまを書物の上で作り出しているのだ。このような試みは、怪談専門誌『幽』の編集長でもある編者の東としても「かつて例のない企て」であるという。
 喧嘩する狛犬、剃刀の道、蝉の死骸を回収する男、部屋の三分の一を占領する空気女――。実話怪談と呼ばれる類のものから、幻想文学と呼んでさしつかえのないものまでその多彩さは驚嘆に値する。一気に読んでも、寝る前に一話ずつ読んでも存分に愉しむことができるだろう。……だが注意してほしい。読み進めるごとに、読者のてのひらにはひとつずつ怪談の種子が蓄積されていく。やがて読者の気付かぬうちにてのひらで花を咲かせた怪談は、その胞子で望まぬ怪異を呼び寄せることになるかもしれないのだから。

お気に入りの10作は「阿吽の衝突」「厄」「食卓の光景」「カミソリを踏む」「いのち」「夏の終わりに」「乗り物ギライ」「空気女」「黒い不吉なもの」「魅惑の芳香」……かな。