佐藤友哉/世界の終わりの終わり

もともとこの小説は、新現実に載った時点において、当時の佐藤友哉の状況と重ね合わせて読まれることを少なからず意識して書かれたものだったことは間違いないだろう。第一話の初出から五年を経た現在改稿するにあたって、さきほど述べた方法論はかなり薄められた(西尾維新舞城王太郎といった固有名詞は取り除かれ、主人公が講談社で書いた小説は六作になった)。だがそれでも、昔からの読者は主人公に佐藤友哉を重ね合わせることをやめないし、それゆえにこの作品の展開に不満を覚える。それは少なくとも《健全》な読み方ではなくなっているのかもしれない。むしろ、この作品で自分の小説をはじめて読む読者のほうをこそ、佐藤友哉は見ていると考えるほうが妥当だろう。もう五年が経ったのだ、あれから。
そもそも、新規の読者はユヤタソの「事情」なんて知ったこっちゃないわけだからね。

世界の終わりの終わり

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