それなんてアタリショック

その後のコメントで別の話になったので、文脈を無視してつっかかることになるが。

amamach 『ううむ、ミステリ冬の時代ですか……そういった時代は昭和の時代にすでにあったように思います。秋山さんはミステリの読者が増え、作者が増え、出版社が増え、相対的にミステリが良くなる、としているようですが、どうもそうは思えないのです、例えば昭和後半の時代。
松本清張が提唱した『社会派』が一人歩きし、社会悪を小説内に持ち込んでしまえば小説たりえるとされ、その一方、人口に膾炙したことによって、俗に言う『軽い』ミステリが濫作されました。それによって、『軽い』ものを強いるようになってしまったわけです(ですが、そうじゃないものがなかったわけではないでしょう、『だれもがポオを愛していた』などはこの時代の作品です。むしろその空気に作家、編集者みな結託してしまったというか。)。新青年時代の遺産を全部臭い物にでも蓋をするように忘れて。
良い小説、面白いミステリが馬鹿売れするわけではないのです。大衆の求めるものと、言語芸術として価値のある小説はイコールにはならないと思うのです。ミステリを読む人が増えても、そこに価値を見取る人がいないと何の意味も無く、ただ蕩尽される紙束になってしまう、と思います。』
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これはかなり一方的な見方に過ぎないのではないか、というか、ここで登場する「社会派」という言葉は、本格側からの視点によりすぎなのではないか。このテキストに、

 ではその“社会派推理小説の時代”、つまり昭和30年代には本格ミステリは書くこともはばかられる状態だったのか。

 そんなことはありません。鮎川哲也は昭和30年代を通して一流作家でありつづけました。書下ろし全集の企画が持ち上がるたびに、鮎川の名前は入っています。前期の乱歩賞作家のほかにも土屋隆夫結城昌治笹沢左保佐野洋天藤真都筑道夫らがこの時期登場し、本格推理小説の名作を数多く上梓しています。みんな芦辺拓のいう“街角のイリュージョン”を求めて、さまざまな試みを行いました。『日本ミステリーの100年』の1960年の項には「新鋭の登場で日本ミステリーも作品的にずいぶんと多彩になった。かといって本格推理が衰弱したわけではない。」と述べられていますし、1961年には「日本ミステリーの黄金時代と言えるこの年」とあります。この時代は暗黒時代どころか、百花繚乱、まさに未曾有の“推理小説の黄金時代”だったのです。

とあるように、社会派の時代(とされた一時期)に本格が滅びたわけではないし(ましてや「新青年時代の遺産を全部臭い物にでも蓋をするように忘れて」などいるはずもない)、何もアタリショックのように、濫造によって社会派が滅びたわけではない。確かに、当時の社会派とされた作家が今多く読まれているとは云いがたいだろう(皆無ではないにしろ)。しかしそれは、時代性とともにある「社会派」の性格からすれば当然のことにすぎない。「社会派」というラベリングが消えただけだ。ちょうどいま「新本格」というラベリングがその意味を失いつつあるように。
その時代時代の社会的テーマを盛り込んだエンタテインメントという意味では、警察小説や経済小説というジャンルにおいて「社会派」が志向したことは脈々と受け継がれているし、それは否定するべきものでは当然ない。絶対にない。「果断」のような小説を読んだあとでは特にそう思う(普段の趣味ではないのは否定しないが)。たとえ今ブックオフで100円で叩き売りされていようと、あの時代に生きた人々にとってそれらの小説は「紙束」なんかではありえなかったし、そう表現するのはそれを好まない(だけの)者の奢りとすらとらえられかねないと思う。