「太陽を盗んだ男」

凄まじい映画で、何が凄まじいかって、ほぼ全篇徹底して無意味なところが凄まじい。言い換えれば、とんでもない量の意味の空白に支配された映像が続く。冒頭、爺さんがスクールバスをジャックして、皇居に手榴弾を投げ込むシーンとかは確かにイデオロギーを暗示しているのだけど、おお助けた、なんか鍛えてる、と思っていると数分後にはいきなり東海村プルトニウムを奪いに行っている。ともかく、強いて言えば、何かがない、という空白が動機となっている以上、後半あれだけのアクションをやっていても、被爆した研二の髪が抜け落ちようと、しかしなんでこのひとたちはこんなことをしているんだ、と問うた瞬間にやはり全ては無意味に帰してしまう。もしくは、クライマックスに屋上で二人が交わした会話のように、陳腐なものへと降りてゆかなければならなくなる(物語の牽引力のひとつとして、文太がいつ沢田研二が犯人であると気づくのか、というものがあるが、それの解決がぎりぎりまで延長させられたのはそれが原因だろう)。
この無意味の性質の悪いのが、観る者によっていくらでも意味を与えることができそうな気がすることであって、おそらくその気になれば映画内にあるあらゆるイコンに意味を与えることができるだろう。僕が知らないだけで、それを行った文章もいくらでもあるだろう。しかし実際には作品はああいう形で幕を閉じてしまう。そこであらゆる意味は失われる。だから私たちはもはやこの映画について語ることができなくなる(できるが、そこに意味はない)。意味(=「お前が殺したいのは、お前自身なのだ!!」的な、動機付け)を求めて墜死した文太のことを、あの物語ののちの世界では誰も覚えていないだろう。

太陽を盗んだ男 [DVD]

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