彼が僕に言った言葉の一つが、「お前には期待していたが、やはり凡人だった」という趣旨のものだ。僕は凡人だと彼は言った。確かに僕は凡人だったし、それは今でも変わらない。僕は田之上に「沈黙」の青木のように、愚かな、凡人のゲスだと思われているのだろう。それは正しいのかもしれない。僕は人間の屑だ。

違和感がない。

それでもやはり彼も馬鹿だったと思うけれど、それとは関係がなく、僕は彼の言葉を心のどこかに置いておいたままだ。だから、僕は「沈黙」を読み共感することができない。青木について考えてしまう。「マリア様がみてる 子羊たちの休暇」を面白く思えない。それは僕のどこかにそれらで憎まれ、蔑まれ、作者に打ち捨てられる存在の範疇に、自分がいると考えているからだと思う。そういえば、彼は僕に呪いをかけたと言った。彼は自分にそれができると信じていた。これは彼がかけた呪いなのだろうか。わからない。

滝川クリステル滝クリと略するなら、アガサ・クリスティもアガクリと略すべきだと思う。むしろ滝川クリスティで良いと思う。失踪すれば良いと思う。そして失踪日記を出版すれば良いと思う。そしてそのあいだニュースJAPANはアガクリがやれば良いと思う。そして隣の小太りの人が困惑すれば良いと思う。