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おもいっきりテレビに出てくる中学生はなぜあんなに眼が死んでいるのだろうか。
なんか最近、mixiっていやだなあとか考え始めた。別にネット上に還元されるバーチャルなコミュニケーションがどうたらとかいう話ではなく、あるコミュニティのトピックを見ていて、そんな風に感じた。
たとえば人が誰か、何かに対してネガティブな感情を覚えて、それを表現しようとするとき、本人たちにとってどうこうではなく、ただ僕がはたから見ているだけの場合、非匿名より匿名のほうが*1なんか気分が悪くなるな、とか思った。
それはつまり、好きなアーティストのことを、知らない奴と知ってるけどそれほど仲は良くない奴が嫌いだと云っているとして、「なんだこいつ」的な感情は前者のほうが強いとしても、ショックとかそういうのは後者のほうが強いのではないか、とかそんな感じだ。
で、mixiの場合はそれになんかぬるい連帯感みたいなのがつきまとう*2わけで、たとえば(以下、引用使ってるけど、まったくの僕のでたらめだ)
巨人が栂野を強奪!!
1:(なんか適当な名前)
まったく、巨人は汚いです!2:(なんか適当な名前2)
>(なんか適当な名前)さん!!
まったくそのとおりですよね!(以下巨人への罵倒が丁寧語で延々と続く)
みたいな流れがいやだなあ、とか思う。これが名無しだったら、その現象自体の正常性はともかく、見ているこっちは平穏な気分でいられるのに。まあ見なければいいといわれればそうなんだけど。変な名前のついた連中がよってたかってリアル鬼ごっこを罵倒としている光景なんていまさら見ても気持ち悪いだけだ。
別にmixiをやめようとは思わないけど、それは馴れ合いのためであって、それで知らない人と知り合いになりたいとはもう思わないな、とか思った。
なんか最近ずっと文章が下手になり続けている気がする。まあ昔からだったんだろうが。
ドゴールとゴダールって間違えやすくないですか? 間違えやすくないですか? 間違えやすくないですかそうですか。眠い。
鮎川哲也「宛先不明」を読んだ。アリバイ崩しって、フーダニットっていうわかりやすい吸引力が早い段階で機能しなくなるから、その分話自体に面白味が感じられないと全然面白くないですね。ということ。読んでみるとトリックはそこそこではあった。しかしまー、この人は余程女性がらみで嫌なことがあったのかね。この作品なんて第一章からして「女難」ですよ。
- 作者: 鮎川哲也
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本のガワにはそれほど執着を感じない性質だと自分では思っているが、このあいだ少し触れた山川出版社の「ヒストリア」という叢書が気に入って仕方がない。小さくも品のあるカタチといい直線的な装丁といい手触りといい……。良いなあ(変態ぽい)。