昨夜書いたこと*1をもっとわかりやすく書くと、結局「萌え」はなぜキモいとされるのか、っつー話なのよ。で、それは二つの方向からアプローチが可能だと思う。

  1. キモいヲタが好むものはキモいのでヲタが好んでいるもの(=萌え)はキモい
  2. ヲタが好んでいるもの(=萌え)がキモいのでヲタはキモい

 なんだかトートロジーの限界にチャレンジしているみたいな気分になってくるが、1は、まず、「ヲタはキモい」というのが前提にあって、その結果、キモヲタが愛好する「萌え」が「キモい」とされる、という考え方。2は、「キモいもの」というのがあり、それが「萌え」と直結して理解され、それを愛好する者がキモヲタと定義される、という考え方。

 とりあえず、どっちも検証してみる。

 まず1は、イケメンヲタの存在を受容する。なぜなら消費者がキモくなければその趣味はキモいものとされないからだ。だから、イケメンでさえあれば、エロゲをやろうがK-BOOKSの同人誌コーナーにいようがキモくない。これは一見正しく思える。非イケメンの立場から考えれば、それが世界の真実のように思える。ていうかそうだろう実際畜……いかん取り乱した。だが、別の方向から考えればどうか? 消費者がキモヲタ*2でさえあれば、彼が愛好するものすべてはキモいものとなってしまうのだろうか? キモヲタがバンプを好んで聞いた途端に、そのバンプは汚され、キモいものとなってしまうのだろうか? もしそうであるなら、オレは明日からYOGURT-poohを聴くのを止めるよ。キモいオレはオレのせいで愛するヨグがキモいものとして捉えられるのが厭だから。でもたぶん、そうじゃないはずだ。ある一定数のキモヲタはジャンプを読む。しかしだからといって、そのジャンプは電撃大王にはならないはずだ。*3だいたい、GOING UNDER GROUNDのボーカルはどうなるだ。アキバ行けば立派なキモヲタですよ彼。でも彼が作り歌う歌はあんなにさわやかでキモくないじゃないか。
 あるいは、彼ら(=一般人)は、キモいヲタが好んでおり、なおかつ、彼らが一般に好まないものをキモいとするのだろうか? これなら大分精度が上がった気がする。しかし、やはり無理がある。仮にキモヲタが、一般人の知らない、そうだなあ、カーの未訳長編を読んでいるとする。果たして、そのカーはキモいとされるのか、萌えという単語と直結して理解されるのかといえば、そうでもないだろう。*4じゃあもっと精度を上げてみようか。彼らは、キモいヲタが好んでおり、なおかつ、彼らがキモいと感じるものをキモいとする。よーし、これなら完璧だ。……あれ? それだと、「彼らがキモいと感じるもの」はすなわち「キモいもの」で、それは「キモいヲタが好んでおり、なおかつ、彼らがキモいと感じるもの」ってことになって、すごいループに陥るよ。――というわけで、とりあえず今は、1は不成立ということにする。

 ここで、2について考える。2は、イケメンヲタの存在を受容しない。なぜなら、イケメンであろうがそうでなかろうが、キモいものを愛好する者はすべて、萌えヲタ=キモヲタという概念に飲み込まれるので、イケメンヲタという概念は誕生した瞬間にキモヲタという概念へと吸い込まれていくからだ。非常に痛快であるが、それに浸っている暇はない。次に進む。では、「キモいもの」とは何か、あるいは、キモい「萌え」とは何か? ……おお、やっと最初に考えようとしたことにたどりついた。それまでの疑問を消すのにずいぶん時間がかかったけど、まあいいや。
 そもそも、萌えという言葉の概念自体が一定しないので、難しいところもあるんだけど、少なくとも消費者側で勝手に解釈するのではなく、作り手側で「狙って」作り出す「萌え」に限定して考えると、ある程度確かな像が見えてくるのではないかと思う。だから、とりあえず今は、オレに見えている像に依拠して話を進めるけど、もっと正確な像が見えている人の話のほうが、もっと正しいのは云うまでもない。もっとも、オレに見えている像といっても、話の関係上、一般人*5が見ている像を想定して考える必要があるから、その辺もっと複雑になるのだけど。
 で、オレから見えている像と、一般人が見ている像を重ね合わせると、やはり彼らは「萌え」に性的なものを見出してるんじゃないかなあ、と思う。たぶん、というかかなり、萌えのなかにプラトニックな要素というのは存在しうるのだけど、それが彼らに見えないのじゃないだろうか。ロリを例にあげると、「愛でる」とかそういう言葉で表されるプラトニックな「萌え」というのも存在するのだけど*6、彼らには、ヲタが幼女を眼の前にして性的に昂奮している画しか浮かんでこないんじゃないだろうか。それに対して拒否反応を示し、「キモい」と感じるのは、なんとなく理が通っているように思う。昨夜触れた、なぜ中島美嘉のナナコスに一般人が拒否反応を示さないかといえば、彼らはそこに性的なものを見出さないからだ、となる。実際、NANAという作品でセックスが行われているか、というのとはたぶん無関係に。
 しかし、ほんとうにそうか?
 それで云うと、一般人はたとえば声優のライブに性的なものを感じていることになってしまう。他にも反証になりうるものはあって、たとえば、性的なものが「キモい」と言い切れるか、という問題。たとえばエロビデオがあったとして、一般人の、まあ、この場合は女性として、彼女たちがエロビデオに拒絶を示す場合、はたして、それは、エロゲに対する拒絶、「キモい」と同一なのか? ……違う気がする。*7あるいはこれは、それが現実のうえにあるものであるから、として処理できるかもしれない。エロゲがキモいのは、二次元だから、フィクションだから、架空だから、妄想だから。
 しかしじゃあ、エロい少女漫画は? エロ劇画は? ジュブナイルポルノじゃない官能小説は? 北沢拓也読んでたらキモヲタですか、という話になる。あ、もしかしたら、エロゲーマーは、自己を主人公に投影しているからキモいのかもしれない。前述したような場合は、いずれも、主人公の顔ははっきり描かれている。しかしエロゲは主人公の顔をはっきり描いていないじゃないか! 目元だけ不自然に隠れているじゃないか! これはプレイヤーが自己を投影するからだ! キモい! ……っつってもそれも一昔前の話という気がするし、そこまでいくと萌えというよりエロゲの問題だし、だいたいボブゲはどうなるんだ、という話になる
 うー。わかんね。マジでわかんなくなってきた。なんでNANAはキモくないのに萌えマンガはキモいということになるんですか!
 キモいとキモくないの境界線はどこにあるの! 誰か考えてください! 僕は少女セクト買って寝ます! キモい!……ていうかヲタがどうこうとかなんてどうでもいいんだ! 問題はオレがなぜキモいのか、そしてそれはヲタと何か関係があるのか、そういうことです! わかりましたか! わかりません!

CDをディスクユニオンで売ったら半分戻ってきた。とりあえず明日ブコフへ持っていって、それでもダメだったら引き取り手でも探します。

……。

ええと、誰か殺して下さい。

恥ずかしくて二階に上がれなかった俺を、そしてシスタースプリングを買えなかった俺を。

もうだめだ

おかゆまさき撲殺天使ドクロちゃん(6)」を読んだ。二話が狙いすぎー。

撲殺天使ドクロちゃん〈6〉 (電撃文庫)

撲殺天使ドクロちゃん〈6〉 (電撃文庫)

*1:昨夜のアキバ王決定戦で、キャバ嬢がPiaキャロのコスプレを拒絶していた。これはつまり一般人がキモヲタだけでなくキモヲタが愛好するものを拒絶したということに他ならない、という感じ

*2:この立場においての問題があって、それは「キモいヲタ」とはどのようなものか、というものだが、これはおそらくステロタイプなヲタを想定したような場合の、話し方、態度、外見などの欠陥が「キモい」と形容されると考えて良いと思う

*3:このへんの固有名詞の扱いにはかなり不安がある

*4:……きっと

*5:というか、そもそも、この言葉から規定しなくちゃいけないんだなあ。まあ、テニスサークルとかです(適当)。たぶん、今自分がいるサークルにこのテキストで採用している意味での「一般人」はほとんどいない、はず

*6:しかし、それが理解されたからといって、幼女をプラトニックに愛でる行為をキモくないと思ってくれるかといえばそうではないだろうから、この点は別個に考察が必要だろうなあ

*7:もっともこれはオレが女性じゃないから想像の域を出ない