現実に日記を追いつかせるための覚書。

※すいません、なんだかキツい言い方になっているような気がします。もちろん読む人を非難するつもりはありません。

id:coruja:20050714でもって文芸社の本は買わないと豪語したのはほかでもない自分なのだが、非常に狭量な感じなので言い訳をば。

むろん、たとえば講談社だろうが東京創元社だろうが双葉社だろうが原書房だろうが立風書房だろうが良い作品は良いし、悪い作品は悪い。その意味で、本の内容に出版社は関係ない。だが、自費出版は別だと自分は思うわけ。

通常、デビューするためには、たとえば新人賞を取ったり出版社持ち込んだり島田荘司宅のインターホンを押したりなどの手段があるのであって、それらに共通するのは、自分が「選ばれよう」とする意思があるっつーことだ。当然、選ばれるとは限らないわけで、そこで、選ばれようとするために、技術の向上を図ったり、文章修行をしたりして、作品というのは良くなっていく。

でも、自費出版の場合は、そのようなプロセスが存在しなくて、どんなひどい小説でも金を出せば本になる。もちろん、ひどいものばかりではないだろうだけど、しかしちゃんとした編集者や校正というのはいない(ISBN:4835525795)し、どんなにやる気のある作者でも、かならず本になるとわかっていて、無意識レベルの話になるのだけど、本当の意味の情熱をそこに注げるのか、という話になる。つまり、「選ばれよう」とする意思が文芸社とか新風舎の、自費出版の書物には放棄されている、そういうのを読んでも仕方がない、と、あくまで自分は思う。

誰であったかは忘れたが(嘘。僕の誤読で迷惑をかけないようにしています)、mixiで、最終選考レベルの作品を、そのまま新風舎文庫で出していた、という話を読んだ。何度も何度も新人賞に出し、落ち、を繰り返すなかでレベルアップすることはできる、本を出したいならそのくらいするべきだと思う。

つっても、これはある意味矛盾した言説なんだよなー。ここで云ってることは、つまり「志の低い作者の本はつまらない」ということなんだけど、作者の情熱と小説のおもしろさは比例しない、というのも基本的な自分のポジションではあるわけで。まあ、もうちょっとあけすけに云えば文芸社のやりかたが気に食わないんですよ。このあとはちょっと熱くなってるので隠す。


当該の本の一冊目は、2003年1月に「赤い隻眼」として発売されて、2004年10月に加筆修正のうえ「心霊探偵 八雲」として再刊している。

さて、その月に何が始まっていたかというと。

http://www.tv-asahi.co.jp/yakumo/index.html

たぶん、「赤い隻眼」の段階で主人公の名前は「八雲」だったんだろうね。だからそれを利用して、(開始と発売が同時なので、たぶんドラマ化が告知された段階で加筆と再刊の準備を始めたのだと思う、便乗商法だったとしたら)便乗して再刊したのかもしれない。だから、言いがかりかもしれないんだよ。けど、実際僕は本屋でこの再刊したほうの「八雲」を見たとき、「ああ、あのミッチーのドラマの原作かな」と思ったりしたもんだよ。

繰り返すけど証拠はないよ。でもこれが、本当に便乗だったとしたら、ちょっとやり方がひどすぎる(便乗自体は普通に行われることだけどね)。やはりこれは、まともな出版社のやることじゃないし、そういうような出版社で本を出す作者をおれは信用できない。

あと付け加える。「脳内映像ミステリー」というのは普通に意味がわからない。