だらだら書く。いちおう筋が通っていればいいかな、という気分で書いているのであまり論理的な一貫性は考えてない。
http://d.hatena.ne.jp/kossetsu/20081025/p1http://anond.hatelabo.jp/20081027160514→ttp://d.hatena.ne.jp/Mori-Nie/20081028
というのを見た(なんとなく最後だけh抜いた。別に公開記事だからリンク張ってもいいんだけど、というあたりに僕自身のこの件に対するスタンスを感じ取ってもらえば)。で、どうしてこうなってしまうかなあ、と。これはそれぞれのエントリにそれぞれ固有の問題があって、またそれらが連関しているのでとても語りづらくできているように感じるのだけど、とりあえずひとつづつ考えてゆきたい。
まずひとつめ。ふだんは、僕はネットの公開情報はどのように扱われても文句は言えないという立場を取っているんだけど、この一連の件についてはどうももやもやした感情を抱かざるを得ない。それはパンドラであるとか滝本竜彦であるとか、自分が一時期近くをかすめた固有名詞が登場しているから、というのもそうだし、件のひとというのは、おそらくだけどそういった《技術的な自由》とは程遠い世界で(それははてなダイアリーを使っている/いないに関係なく)住んでいるから、というのもある。たとえば、同じ《技術的な自由》による暴力でいえば、これはなんとなくGSVの問題を想起させる。GSVカーがカメラで塀の向こう側を撮影するのと、日記の断片から素性を推理するのとは、《厳密には公開されているのだけど、ひとつステップを踏んでプライバシーがかかわる領域まで踏み込んでいる》という点において、共通にしているように僕には思える。最初から推理させるようなことを書かなきゃいいじゃないか、っていうのは正しいのだけど、ただ人にはそういった正しさだけでは割り切れない部分があって、たとえそれが露悪的なようでも書かざるをえないときというものがおそらく存在する。そういうときっていうのはそっとしておいてやるのがいちばんだよね、というお話(もしくは最低限2chでやれ、ってことか)。だって、いくらGSVカーから自衛すればいいじゃんつったって、シェルターで家を囲んだりはしないじゃん、金銭的には出来ても。ひとはどこかで開くことを選びたくなるわけだし。だからこれは、ある種人が人であるがゆえのわかりにくさ(そしていうまでもなく、それが人に表現というものを選ばせる)と、技術というものが持つわかりやすさ(本当はこういう風に決め付けてはいけないんだけど、ここではとりあえず)の衝突という側面を持っていて、これはみっつめに続く。
ふたつめの、コネの問題については、理屈ではわかっても、いまだに何が問題なのか情緒的な部分ではわからずにいる。サヴァイバルとかいう戯言をどこまでこれを書いた人が本気にしていたかはわかんないけど、パンドラも商業出版の雑誌である以上サヴァイバルよりも面白いものを載せることのほうが重要であることはいうまでもない。新人賞なんていうのは(パンドラ側がどんなことを言ってるか知らないけど)そのために面白いものを書ける書き手を探し出すひとつの手段にすぎない。むしろ、コネだけでは限界があるから新人賞をやっているもいえるのかもしれないし。かといって「そんなことを言ってる暇があったら作品を書け!」みたいなベタなものいいもなんか気持ち悪いけど。ただそれよりもっとわからないのは書いた人のを「かっこいい」と形容する人がいることで、それに関しては本当にどこが?と考えざるを得ない。せめて匿名ダイアリーじゃなくて最低限ペンネームを出してblogに書くならまだdis芸としてわからなくもないけど。結局このエントリが招いた結果をこれを書いた人はどう思ってるのかね? 「ざまあwwwwww」ならまだいいけど(とはいえ、それを言わせないために件の人は「不快なコメントを書いた人の人格を否定するつもりはありません。」と書いているわけだけど。つまり「あなたの言っていることはなんでもない」と言っているに等しいわけだから)*1。しかしなんだか変にへこんでるんだったらおかしな話で、この結果を予測できずに書いたんならそれは書き手として、少なくともおれはもっとも重要だと思ってる想像力の欠如を意味するわけだからね。まあ、建前だけ書いておくなら、自分が良いと思うものを書けて、もしそれを喜んで読んでくれる人がいるなら、デビューなんかしなくてもそれでいいよね!ということです。もちろんそんなわけないから、おれだって投稿とかしているんだけど。
みっつめにかかろうと思ったけど疲れたのでこれはまたの機会にして思ったことだけ述べておくと「強くなければネットではやっていけない」とか「強くなければ作家を目指してはいけない」とかそういうのってとっても鬱陶しいと思うのですけど、理屈で割り切れない部分ををフォローする「技術」ってないんですか? ということです。はてなってギークだけじゃなくて読書関係とか、創作関係のひととかも多いのに、そういうひとたちの放つ《わかりにくさ》を全然フォローしてくんないし、そもそもたいして興味がないんじゃないかという気がする。なんか知らないけどつい最近まで森見登美彦のblogを「こんな人も書いてます」に入れてなかったし(まあこれはなんか裏事情があるのかもしれないけど)

*1:このあたりの論旨が混乱しているけど、一応文面のうえでは、更新停止と件の匿名ダイアリーのエントリが関係ないことは認識している。