小寺信良・津田大介/CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ

大学で書評を書く授業を取ったところ、本選びからあなたのセンスが問われているのですよといわれたので、ゆっくりとした口調でしゃべるその詩人の先生を困らせるべくこの本を選んで書いた。いちおう、要所要所でそういう人でも興味を持てるようなフックを仕込んだつもり。以下全文。

 二〇〇五年、コンテンツ産業の根幹を揺るがすサービスがインターネット上に開設された。YouTubeである。ユーザーが自由に動画をアップロードできるこのサービスは、やがてテレビ番組やプロモーションビデオといった、著作権侵害にあたる動画で埋め尽くされる。路上で海賊盤を売りさばくのとは性格を異にする、「カジュアルな著作権侵害」が「普通の人々」の間に浸透した瞬間だった。もっともYouTubeはたんなるきっかけに過ぎなかったのかもしれない。インターネットの普及とともに、テレビ局やレコード会社といった巨大企業がコンテンツと、そこから生み出されるビジネスを掌握する時代はゆるやかに終わりを迎え始めているように思われる。
 テレビ映像の編集者であった経歴を持つ小寺と、文部科学省文化審議会の小委員会のメンバーでもある津田。二人のライターは、コンテンツとそれを産み出すクリエイティビティがいったいどこに向かうのか探るために、現場で活動している九人の人々との対話に赴く。本書はそれをまとめたものである。かつては『電波少年』のプロデューサーであり、現在は日本テレビ公式の動画配信サイト『第二日本テレビ』のトップに座る土屋敏男や、長年書物の編集に携わりながらネットの連載も続ける松岡正剛といった対談相手の発言は示唆に富んだもので、なおかつ小寺と津田が投げかける鋭い質問によって内容がより深いものになっている。また詳細な脚注が附されているうえ、取材後に行われた二人の対談も挿入されているので、この分野に詳しくない読者でも労せずに問題意識を理解することができるだろう。
 九本の対話から浮かび上がってくるのは、いったいコンテンツは誰のためにあるのか、という根本的な疑問である。かつては一方的に供給されるだけだったコンテンツが、コピー技術の成熟により消費者間で容易に共有できるようになる。それに対しメーカー側はDRM(デジタル著作権管理)などの手段でそれらを制限しようと試みているが、しかし、それは本来コンテンツを産み出すクリエイターと、手に入れる消費者にとって本当に幸福なことなのだろうか? 小寺と津田の対談で語られる、「コピーは文化を守るための保険」という視点には虚を衝かれる思いがした。
 津田のあとがきで語られるとおり、本書は自由に複写・複製を行えることを示すクリエイティブ・コモンズのライセンスを付けて刊行されている。コンテンツ論の「教科書」として読まれて欲しいという津田の意志により行われた、出版物としては極めて珍しいこの処置にこそ、この「コンテンツ」のメッセージが込められているのではないだろうか。本書の問題意識はデジタルな領域においてのみならず、たとえば図書館をめぐる議論にも近接するものだろう。コンテンツ産業に関わる、関わろうとする者にとって必読の「教科書」となるに違いない。

個人的な感想としては、わかっているひとほど苦労するんだなあというまあ当たり前のことを思った。個々人の理想がすべて矛盾せずに実現したら理想郷の完成なのに、いらんしがらみや何かでうまくいかないのだから困ったものだ、とか。本のコンセプトからずれるのかもしれないけど、この件でヒールになりがちな人が何を考えてるのかも読みたかった。役人とか、レコード会社の人とか、JASRACの中の人とか。

CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ (NT2X)

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