「首くくりと蜂蜜の味」

 遠くから銃声が聞こえる。何発も。私はそれが銃声であると知っている。何かが弾けるような音だと思う。ゴム風船、花火、心臓、意識。私は銃声の理由を知っている。反乱だ。何かが反乱を起こしたらしい。猫かもしれない。蜥蜴かもしれない。いや――打ち捨てられた漫画雑誌かもしれない。ゴム風船、花火、心臓、意識。私は考える。
 反乱だからといって与えられた拳銃は予想通りの結果しか生まなかった。そんなことははじめから分かっていたのだ。私のもとに拳銃を持ってきた老人も云っていた。これがあれば殺し合いのし放題だよと彼は笑った。でも私は殺し合いに参加できない。殺したい相手も、殺されたい相手も、いっぱいいるのに、私は拳銃を握り締めるだけだ。
 だって、安全装置の解除の仕方を知らないから。
 なんでこの街だけそれを教えられなかったのだろう。たんなるミスなのだろうか、それとも何か理由があるのだろうか。私は考えるのが面倒になる。さんざんいじくりまわした。その過程で暴発して私は死ぬかもしれない。構わない。構わなかった。何度も引鉄を引いた。硬くて動かなかった。自分のこめかみに向けて、義妹の片脚に向けて引鉄を引いた。でもその、意思によって引き起こされる筋肉の動きは、唐突に中断されて報われることがない。私は泣いた。義妹は夕食の準備を始めた。
「胡椒が足りない」
「塩でいいと思う」
「砂糖も足りない」
「塩でいいと思う」
「片腕が足りない」
「塩でいいと思う」
 この街の外に出れば誰かが私に安全装置の解除の仕方を教えてくれるだろう。あるいはその前に私を殺してくれるだろう。でもそうじゃない。私が殺したい相手も、殺されたい相手もこの街にしかいないのだ。
 義妹がまた料理を作る。私は食べる。胡椒が足りない。そのかわりにやたらに塩辛い。私は残す。義妹は片付ける。
 安全装置はどうしたら解除できるのだろう? そもそもどこにあるのだろう? いや、ていうか、安全装置って何?
 私は叫ぼうとするけど何かが喉につかえていてまともに届かない。義妹だけがそれを聞く。狂ったように笑う。私も笑う。笑ってみるけど、本当は冷静だからつまらない。私は笑うのを止める。義妹の笑うのを止める。義妹は云う。
「見つけた。わたしは見つけた」
「何を?」
「安全装置を」
 私が何か次の台詞を云おうとする前に何かが弾ける音がする。ゴム風船、花火、心臓、意識。脳。私は胡椒を見つける。それは義妹の拳銃の中にある。たぶん、彼女が隠したのだろう。私は胡椒を使った料理を作る。それを捨てる。

 私はキック音を聴く。銃声のかわりに。

 実のところ殺したい相手と殺されたい相手というのは実は同一で私は街で彼とめぐり合う。私はまだ安全装置が何かわからないんだという彼の拳銃を奪い取ってそのまま殴りかかる。彼は私の拳銃を奪い取って防戦する。私たちは殴りあう。私は殺しあっている。そもそも銃弾なんかで殺したり殺されようとしていたのが間違いだったのだ。私は銃弾を憎む。それは私の意志ではない。誰かの意志だ。私はそんなものに騙されない。私は殴る。殴られる。そして流される血と交換に彼の感情を得るのだ。それは愛と呼ばれるようなものではない。ただ彼から垂れ流しにされる感情のひとつだ。私はその名前を知らない。ただそれは血と交換に流されるのだ。私は胡椒ではない。私は銃弾ではない。私は花火ではない。私は人間ではない。私は感情ではない。私は漫画雑誌ではない。私は猫ではない。私は安全装置ではない。私は安全装置を知らない。私は義妹ではない。私は感情ではない。私は意識ではない。私は安全装置を知らないままだ。彼も知らないままだ。私は血を含んでいる。私は体液を含んでいる。私は死を含んでいる。私は彼を殺したかった。私は彼に殺されなかった。私は自意識の奔流のなかで彼を支配しようとしている。私は彼を知らない。彼が何を考えているか知らない。私はその事実を無視しようとは思わない。私は銃弾ではない。私は拳銃で彼を殴り彼に殴られる。私は花火のような音をあげる。私はキック音を聴く。