そういえば、「本格ミステリ・クロニクル300」か何かで「紫骸城事件」が「魔術師が多すぎる」に擬せられていたような気がする。

ゲーム関連の自分語りをしたいので誰か僕にVIDEOGAME BATONをください。id:yoakeroの電波を受け取って答えるのもいいけど、バトンを渡したい人がいるからなー。受け取らずに渡すというのもひどい気がする。

そういえば気になっていたことがあるのだけど、エンピツとかさるさる日記ってブログっていうの? ――と思ったら、今はてなのキーワードを見る限りでは普通(HTMLの)のWeb日記もブログに入るのか。ふうん。

僕が最初にはてなで日記を書き始めたころ(二年前)にもブログという言葉はあった。でも、たとえば、僕は最初のほうの日記で、この日記の方向性をどうしよう、ネタ日記か、ブログか――というようなことを書いた。今のブログの定義を見ると、あきらかに誤用だ。たぶんそこでいうブログの意味合いっていうのは、ニュースを取りあげてコメントを書く、みたいなスタイルのWeb日記だった。まあ俺の思い込みだけど。今ブログの意味を人に聞くと、だいたい「簡単に作れるホームページ」みたいな答えが返ってくる。

そこから、2003年の秋、東浩紀とか波状言論とかそういうので形成された「はてなの特権性」というのはまだ継続されているのだろうか、というようなことを考えるのだけど、かったるくなってきた。ただ、おそらく、今、東が慶応で授業をやって、「はてなといえばインターネットですけどね」と言えばそれなりに反応は返ってくるのだろうけど、その反応というのは当時東が期待していたようなものだろうか、という疑問は感じる。

そういえば、去年だったかな、「はてなブログ」っていうエイプリルフールネタがあったね。

いくら四球を出すのがいけないといっても、結局は本塁に返さなきゃいいんだから本末転倒だと思うんだけどなあ。投手出身監督の弊害ということなんだろうか。

7限が休講になって暇なので弁明をする。21日の日記には「書くことがない。」とだけ書いた。いうまでもないがこれは無駄な情報である。この日記の更新を楽しみにしている者などいないのだから、そのような情報を提供する必要はない。しかしなぜそのようなことを書いたのか。自分のためである。自分のために更新したのだ。この日記は自分のために書かれている。そこでは毎日、なにがあろうと更新されることに意味がおかれている。なぜそのようなことに自分が意味を見出しているかはよくわからない。しかし毎日更新しようと思ったから、書くことがない日に「書くことがない」と書いたのだ。だから俺は誰も見なくてもこの日記を更新する。でも本当に誰もこなくなったらさびしい。なぜだろうか。